水野敬也『夢をかなえるゾウ』

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ


特に大きな野心も目標も持っていない平凡なサラリーマンの「僕」の元に、ある日突然インドのゾウの神様ガネーシャが現れる。変わることなくグズグズ時間を貪り食っているだけの日々の暮らしに嫌気が差してきていた「僕」に、成功したければガネーシャが与える一日ひとつの課題を実行するように勧めてくる。
曰く、靴を磨け。曰く、募金をしろ。曰く、食事は腹八分にしろ・・・etc。
「僕」は最初は半信半疑ながらも、実行する過程で色々な発見をし、徐々に成長していっている自分に気づく、という話。
TVドラマ化もされていたようだ。もちろん、ガネーシャの役を演じていたのは人間だが。


ガネーシャの課題にはそれぞれ意味があるのだが、それらは決して目新しい発想からくるものではない。
自分を支えてくれる人に感謝しろとか、人が何を欲しがっているかを先取りしろとか、人の嫌がることを進んでしろとか、発想の根源はいたってシンプルなものだ。
全体通して見ると一番大事なのは、結局自分を変えたい、変わりたい、変わろうという意識を持つだけではだめで、何よりも行動に移すこと、と言っているように思えた。


ただし、そもそもの前提として自分にとって「成功」の意味は何なのだろうか?をよく考える必要がありそうだ。
自分がどういう生き方をしたいかをしっかり捉えて、自分がしたい生き方をするには何をすればいいか、どうなっている必要があるか、をしっかり考えないと、行動がぶれてしまうことになるからだ。
ガネーシャも、お金を稼いで名声を得て多くの人に尊敬されることが全てではないと言う。


そして、偉大な仕事をした人がみんな血と汗を滴らせながら死ぬ気で努力をしてきたわけではないらしい。好きこそものの上手なれ。没頭できている時点で既にそれは努力とは言わなくなっているのかもしれない。
自分は何がやりたいか、寝食を忘れて没頭できることって何か、を見つけられた時点で既に成功への階段の一歩目は踏み出せているのではないだろうか。


ただ、多くの人はたくさんのしがらみの中で生活している。特に年齢を重ねれば重ねるほど、社会生活を営んでいる以上、周囲への責任も増してくる。夢をかなえるための行動に出たくとも、様々な制約から踏み出せない人が多いのも確かだ。家族がいれば収入を無視したり家族をほったらかしにしたりしてまでやりたい仕事に没頭することも難しい。それこそガネーシャの「身近にいる一番大事な人を喜ばせる」という課題に反することになってしまう。
やりたいことを無邪気に探し続けられるのは若者の特権だから、というと言い訳がましく聞こえてしまうけど、大人になればなったで限られた制約の中で工夫することに長けてきているのだから、時間の使い方など工夫しながら色々な行動を実行に移してみればいいのではなかろうか。


自分がもっと若い頃だったら、若さ特有の無根拠な自信をそれなりに持っていたから、説教臭いとか言って鼻で笑って読み捨てていたと思うが、30代も半ばに差し掛かり、苦労も挫折も劣等感もある程度経験してきた今になって読んでみると、身につまされる思いを感じたりして、なかなかガネーシャの言葉が頭から離れなくなってくる。
自分にとっても、何かのきっかけにはなりそうな本だ。